住宅街の行きつけの店

東川口に引っ越してから20年以上経つ、最初の頃は東北に単身赴任していたので家の近所の行きつけの店なるものは無かった。
仙台勤務から帰ってきてからも足立区勤務だったので車通勤をしていた、そのため最寄の東川口駅から家に帰るのは飲酒のため車に乗れない日だったのでその間の駅からの寄り道は無かった。

定年少し前に狭心症で現役リタイアのはめになり子会社に出向、役職の肩書きは立派だが所詮サラリーマンなので丸の内に電車通勤することになった。

営業職時代のような頑張り残業が無くなってきちっと定時に帰る様になり最寄の駅から家まで歩いて帰るようになった。
悪い癖で家に帰るまでワンクションする習慣が付いていて居酒屋を探した、それが居酒屋「稲」という店だった。

きさくなおばさんのママさんと板前の息子でやっていた店で、常連さんもみんな良い人だった。

ところが息子が「蕎麦屋」をやりたいと言い出し結局その店を引っ越すはめになった。
常連さんの仲間入りをようやく認められたばかりの俺はガックリした、又「宿り木」を探さなければならなくなった。

都心は店(飲み屋とかカフェ)に馴染むのも割りと楽だがこの辺は非常に難しいし日数がいる。
「稲」の仲間は今でもお付き合いしていただいてはいるが(釣り・ゴルフ・カラオケ)それでも共通の居酒屋は今だない。

そうこうしている内に俺は結局心臓のバイパス手術をするはめになり退院後は居酒屋よりカフェ・喫茶店を物色することになった。
最初の店はカフェ「エーデルワイス」でした、マスターは元数学の教員だった人でカウンター席もありマスターの友人の元教員の人とも仲良くなり麻雀したりするようになった。
だがカフェの経営は難しく結局3年で閉店になってしまった。

しばらくしてから家の近くにカフェ「ラナンキュラス」が開店した、俺はすぐさま待ってましたとばかり通うようになった。
その店のマスターは当時独身で中々の二枚目」だったので女性客中心に客が増えていった。

だが若いマスターは嫁さんをもらいお子さんも生まれて趣味でカフェをやるわけにはいかなくなった、コーヒーで粘るカメ爺だったりお喋り続きの若い奥さん達では回転が悪く結局4年目にして閉店を余儀無くなってしまった。

明日、閉店なので今日お別れに顔を出した、帰り際にマスターから「最初から来てもらっていて有り難うございました」と言われたが複雑な心境だった。
住宅地での飲食業は余程覚悟して経営しなくては、ただ店をやってみたいだけでは継続できない、現実は非常に厳しいのだ。
また、明日から閉店しない店を探さなくては・・・・・・・

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No title

カフェ側は「飲み物だけが収益」と考えるし、客は「飲み物を注文すること」にお金を支払うわけで、脚が少ないと成り立たないとなるわけですね。
当社の団地の見守りカフェも同じ状況でして、現在のところ人件費分し売上がありません。コーヒー豆等分だけ赤字が続いています。なにか、別のものを売るという段階に移らなければならないのですが、いまだ、先がみえません。
プロフィール

カメ爺さん

Author:カメ爺さん
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 サラリーマン歴38年(北は仙台、西は福岡、転勤13回)いろいろあった会社生活だった。
(企業戦士というシーラカンス)
 定年後は8年間後輩の会社の手伝い、現役時代の暴飲暴食がたたり狭心症になる、カテーテル4回後ついにバイパス手術する、
退院後突如、毎日が日曜日になってしまった。
川口のマンションで妻と二人生活、
子供3人孫3人。
趣味は船釣り・ゴルフ・読書(池波正太郎・藤沢周平)喫茶店巡り・散歩

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