もう6年・・・・・まだ6年

東北大震災の日から6年が経ちました、テレビではその為の報道を朝から流してた。
1911年14時46分の俺は心臓のバイパス手術を3日後に控えて御茶ノ水・神田駿河台の日本大学病院に入院していた。
手術時の輸血のための承諾書とその説明を受けるために待機していた時でした。

今は新築の新病院の建物に移ったがその当時はまだ古い建物だったので揺れ方は半端ではなかった。
備え付けのベットの後ろの壁にくっついていた大きなロッカーが反対側まで動いてしまった。
俺はベットに付属していた食事をする机のようなものの下にうずくまって揺れがおさまるのを耐えていた。
終わりそうで終わらない地震は全く初めてだったので恐怖は半端ではなかった(時間が凄く長く感じられた)。

地震があんな怖いものだとはその時初めて知った。
その後余震があるたびに携帯電話の警報は鳴るし(同じ部屋の人のものも鳴った)地震がまた続くのかとも思った。
テレビでは津波の様子をずっと中継していた、沿岸の大部分はは釣りで行った所だったので地形は分かっていたが悲惨な光景は目を覆うばかりだった。
長男が原発の近くのJヴィレッジで働いていたので心配して電話したが全く通じず凄く心配した。
次の日の朝方ようやく連絡が取れたが地震の時は現場には居なくてたまたま塩釜から高台に移動した時だったらしく直接の被害は無かったと言っていた。
長男のその後のことを書くと長くなるので省略するが、彼のその後の人生は大きく変わってしまった。

俺の手術は地震の日(金曜日)から3日後の月曜日に行われた、まだ余震が続いた中で行われたが運が強く成功してくれた。
そんなこともあった3月11日だったので何年経っても強烈な印象な拭えない。
だが、たった6年しか経過してないのに随分以前のような気がする、この感じは何なんだろうか・・・・・・


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カメ爺さん

Author:カメ爺さん
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 サラリーマン歴38年(北は仙台、西は福岡、転勤13回)いろいろあった会社生活だった。
(企業戦士というシーラカンス)
 定年後は8年間後輩の会社の手伝い、現役時代の暴飲暴食がたたり狭心症になる、カテーテル4回後ついにバイパス手術する、
退院後突如、毎日が日曜日になってしまった。
川口のマンションで妻と二人生活、
子供3人孫3人。
趣味は船釣り・ゴルフ・読書(池波正太郎・藤沢周平)喫茶店巡り・散歩

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