老いて子に教えを乞う

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1月の21日22日に市の施設(メディアセブン)で習ったパソコンのエクセルの復習と確認を長女に習った。

習った当日は遅れ遅れながらも何とか理解したつもりだが日が過ぎてしまってやらないまんまだとすっかり忘れてしまう。
特に俺のパソコンに入ってるのは2003なので2010バージョンとはコマンドやタブが大分異なる、7年も違うと新しい方は便利な表示がはっきりしていて古い方は探したり無かったりとそこで止まってしまう、基礎が出来てないので大変だ。
長女は毎日の実務で完全にマスターしてるので古いパソコンのやり方を教えてくれた。

今を去ること30うん年前に長女の高校受験で俺が先生役で教えたことを思い出す。
教えるのは根気がいるし教わる方も気を使う、多分子供たちはお父さんに気を使ったのかもしれない。
長女と長男は素直に教わっていたが次女は途中でもういいよ何て言ってたような気がする。

今はどうか分からないが当時就職が厳しく、それで希望する会社に入れなかった時には先生(でもしか先生)でも何て思って教職課程を履修した(この発言は大変失礼にあたります許されよ)。
大学の付属中高で教育実習もしたしそこの校長先生にも誘われて少しは気持ちも傾いたが結局は会社員になった。
出身の高校の先生からも勧誘があったが自分の出た学校だけは勘弁して下さいとお断りしたのが昨日のようだ。

今日の長女は脳が固まってしまった爺ちゃんを相手に根気よく教えてくれた、実の子供じゃなくてはとっても教えてはくれないだろうな。
老いては子に従え・・・いろはかるたです・・・
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東大宮駅

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宇都宮線東大宮駅

東京近辺のJRの駅名はやたら東西南北の駅名がある、俺が住んでいる土地名からして東川口だが駅の名前も武蔵野線の東川口駅、地下鉄埼玉高速鉄道の駅名も一緒だ。
お隣の駅は東浦和駅その隣は南浦和駅、逆方向の隣駅は南越谷駅だ。

今日はさいたま市見沼区東大宮に住んでいる次女宅訪問、次女の長女(孫・・小4)の誕生日で、ここには滅多に行かないが誕生日お祝いとクリスマス&お年玉を持って訪問。

この孫はケーキは食べないでプリンが良いとのこと、駅近くの不二屋入ったがプリンは売ってないとのこと。
困ってコンビニでもと歩いていたら生協があったのでそこで買う。
誕生日プレゼントとしてはちょっと寂しいので花屋さんでチューリプを5本買って花束を作ってもらう。

矢張り女の子らしく花は素直に喜んでもらえた、小4だが直ぐにスマホでチューリップを検索していた。
花言葉を探していたのだ、今どきの子供はやることが違う。
花言葉は「思いやり」だそうだ、12月の花でもあるらしい。

その下の孫(男の子)も加わり記念写真を撮る。
一緒にプリンを食べてから次女宅を出る、平日の昼間は小さい子や母親は忙しい。

たまたま偶然に次女の家の近くに大学時代の同級生がいるのでここに行く時は彼に連絡を入れて駅前で会うことにしている。
今日も呼び出して駅前の喫茶店「葡萄家」で4時に会う、当然「昼ビール」になる。

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一年に一回しか会わないのでその分話が弾む、だがもう東京近辺には大学時代親しかった仲間はもう一人も居なくなってこいつだけになってしまった。

5年前に同級生6人で熱海に一泊旅行したがその内3人が亡くなって、今日会った彼の他は京都の伏見に一人いるだけだ。
何故か短命な仲間ばかりでその他の連中も殆ど居なくなってしまった。

今日のK君とは縁があり俺の最初の転勤先(福井)に彼が就職していて(地元の大手企業)、俺が本社に帰って来た年に同じく東京支社に転勤になって来た。
その後俺は北九州に転勤で5年いたが彼の出身地が八幡なので話が良く通じる。
東大宮に住んでいるので会おうと思うといつでも会える、こんな友人は滅多にいないだろう。

帰り駅でお互い元気でと握手して別れる、昼ビールが効いていい気持で電車に乗る。

親の誕生日

流鉄流山線が100周年を迎えたとのことに出会って1916年は大正5年だったことが分かった。
大正5年といえば俺の母親の生まれ年だ、ということは生誕100年だよ。

慌てて戸籍の記録を見たら何と忘れていた誕生日が11月22日だったのだ、気が付いたのは流鉄に行ってから二日目の20日だった。
当然、親父のことは忘れていて(3年前の2月)生きていればもう103歳になっていたのだ。

お袋は57歳で亡くなった、この頃としてはかなり早い方で残念だった。
その年に次女が生まれたので没後何年かはすぐ分かる、年月の過ぎるのは年々早く感じるがもう40年以上経ってしまった。

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昨日慌ててホームセンターで仏壇にお供えの花を買った、「親孝行したい時には親は無し」とはよく言ったものだ。
遺伝は凄く、母親の亡くなった歳に俺は狭心症で第一回の入院をした。
母の死因も心臓病だったが医学の進歩の差で俺は生き残った。
親が早く亡くなった分長生きしなくてはと思ってはいるが、俺はその後6回も入院(内狭心症5回)している有様ではどうかなと思うがしぶとく生き抜いてやる。

戸籍簿を改めて見直したら短命の家系において父方の4代前の祖母さんが長生きしていた。
その祖母さんに負けないよう精進するつもりだが、果たして・・・・・・

救急搬送・・・その4

絶食とお粥

腸の検査が終わった、病名は「大腸憩室出血」・・・治癒に近い状態。

出血場所は不明のまま終わったが、後は絶食状態からどう体力を戻すかだ。
重湯から始まった、血圧の薬を飲んでいるとの判断で超減塩だ。
パサパサのおかずと少量の重湯、それでも食べられることの嬉しさは格別だ。

次の日の朝は限りなく重湯に近いお粥だ、矢張り超減塩でした。
退院する日(10月1日)の朝まで、それは丁寧に少しづつ少しづつご飯の形に近づいて行った。

俺はフライングしてヨーグルトとか売店に行って食べていた(悪い奴だ・・・なにせ滅茶苦茶腹が減った)。

こんな待遇の良い病院生活だったが一つ困ることがある、畳生活の俺はベッドが苦手なのだ。
ここの病院のベッドは2モーターで改良型ではないが別に普通のもので低反発のマットなので普通の人には十分なのだが俺はどうも駄目だ。

丁度腰の部分が沈むため腰周りが何とも痛い、姿勢を変えたり(点滴で身動きが難しかった)背もたれの高さを変えたりと工夫はしたが、痛さは増すばかりだった。
看護師さんがクッションを硬いのと柔らかいのを持ってきてくれた(優しいよホント)。
点滴が外れてからは椅子に座って疲れたら横になるということにして何とかしのいだ。

一週間の入院での楽しみはテレビだった、家ではテレビはニュースとNHK大河ドラマ、日曜日の張本の「カツ」を見るぐらいで殆ど見てなかったが、腹が減ってたせいもあるだろうがやたら料理番組や美味い物巡りの番組があるのには驚いた。
タレントの美味しい店に行っての「美味しい」という表現がいかに難しいかを観察していた、評判の店に行って美味しいのは当たり前なので彼らも大変だな。

今回の入院で痛切に感じたことは「俺は年取っただ」、確かに下血・絶食だったが。たった4~5日で歩行困難になってしまったことだ。
5年前に心臓のバイパス手術ではるかに長く入院したがこんなには衰えてなかった。
よく高齢者が入院が長引いて寝たきりになるとは聞いていたが、個人差はあるにせよもうそんな年齢になったのかと思った。

退院して今日は4日目まだまだふらつく(昨日は接骨院に行った)、貧血もあるかも・・・・・

入院ブログはもう飽きた、おしまいにします。

救急搬送・・・その3

大腸の内視鏡検査

いずれ近い内に検査をやろうとは思っていたがまさか救急車で搬送されての検査とは夢にも思っていなかった。

2リットルの下剤で腸内もすっかりスッキリしたが一向にお呼びがかからない。
評判の良いこの病院の先生はホントにスーパースケジュールだ、俺のように飛び入りはやはり後回しになる。

それでも順番が来ていよいよ検査になった。
お尻の穴に麻酔を塗って始まった、胃カメラよりは楽勝だ。
胃カメラをやるとき苦しく感じない術を教わったのを思い出した(目を閉じない)。
だが、胃カメラの時とは違いスコ-プ(カメラ)?が腸の中で動く度に圧迫されるので参った。

先生が一生懸命腸内を検査されているので懸命に我慢した。
腸内は綺麗でポリープも無いが矢張り出血の事実があったので検査は続けられた。
30分過ぎに先生と画像を一緒に見るようになった、焼き鳥屋の「シロ」みたいな腸だった。

「これを見て下さい」と先生、腸の壁に無数の月面のクレーターのような穴が空いてるのを指摘されました。
「40箇所ぐらいありますよ、このどれかから出血したようですね」。腸内を洗浄したのと出血を止めたので出血地点は見つからなかった。

40分たってようやく検査終了、癌の疑いも無くポリープの切除も無かったのでやれやれ無事終了です。
しかし、あの凄い量の出血は何だったんだろう、結局狭心症の血液をサラサラにする薬が効き過ぎたことからとの結論だった。

勤勉な?俺の性格が災いしたのか。何せ狭心症の発症以来十数年血液をサラサラにする薬を飲み続けているのだ。
自分で勝手に止めるわけにもいかないので体力が戻り普通に歩行ができるようになったら御茶ノ水の病院まで行って指示を受けなくてはならない。

この日を含めて搬送されて以来、三日半絶食が続いた。

続く
プロフィール

カメ爺さん

Author:カメ爺さん
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 サラリーマン歴38年(北は仙台、西は福岡、転勤13回)いろいろあった会社生活だった。
(企業戦士というシーラカンス)
 定年後は8年間後輩の会社の手伝い、現役時代の暴飲暴食がたたり狭心症になる、カテーテル4回後ついにバイパス手術する、
退院後突如、毎日が日曜日になってしまった。
川口のマンションで妻と二人生活、
子供3人孫3人。
趣味は船釣り・ゴルフ・読書(池波正太郎・藤沢周平)喫茶店巡り・散歩

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