フレッシュジュース

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長男一家がお盆休みで我が家にやって来た。
たまにはファミレスでもと「とんでん」に行く。

ファミレスはメニューが豊富で何を頼むか迷ってしまう、俺はファミレスで初めてうな重を頼んだ。
5人で行ったのだがめいめい違うものを頼んだ、うな重は矢張り専門店とは違った。
当たり前だがファミレスと思えばこんな味も有りかなというところだ。

デザートをどうしようかなと思ったが、これぞ別腹で(うまい言葉があるもんだ)それぞれ別の物を注文する。
俺はパイナップルの生ジュースを注文した、但し書きがあり自分で絞るとなっていた。
孫に絞ってもらったのだがレモン絞り器の大型の様な器具がついてきた。

パイナップルには芯があり器具の真ん中にそこを合わせて上から絞り込むのだ。
器用な孫は上手くジュースを絞り出してくれた・・・こいつが美味かった・・・
このレストランのヒットだ

終わり良ければ総て良しで気分よくレストランを出た・・・あんだけ降っていた雨も止んだ
中学生になって忙しくなった孫との久し振りの会食は楽しかった。

11月にハゼ釣りをやろうぜと約束をする、長男が長期出張から戻ってこれたら行けるのだが・・・お楽しみだ。


カメ爺ブログも今日から7年目に入る、毎年変えるタイトルは今度は・・・カメ爺の「もうチョッと頑張るか!」になる。
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母の日と森永製菓

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母の日・・・子供3人から家内にプレゼント・・・長女が代表で持ってきてくれた

俺の子供時代はまだまだ戦後の貧しい時代で生活がやっとだったのであまり「母の日」は覚えていない。

それで母の日の由来を調べてみた、アメリカが発生で教会での行事からみたいだ。
発案者は白いカーネーションを献花した(1908年)という記事があった、日本でも青山学院の教会で1913年とある。

当初は平和活動の意味合いがあったらしいが、だんだん母に感謝をこめて花や贈り物をプレゼントするように変わってきた。
発案者は反対したらしいが傾向は止まらなくなっていた。

日本では俺たちが子供の頃親しんだ「森永キャラメル」の創業者がやはりクリスチャンでその方の初案で「森永母の日大会」が豊島園で行われたらしい。
何とその数20万人と言われてるが本当かどうかは不明だ。
創業者はその後のカーネーションやその他の贈り物ブームになることを想像しただろうか。

創業者に聞いてみなくては分からないが(ありえない)、やはり企業家なのでどこかにそんな思惑があったのかな。
昔の金持ちはやることが一般庶民に向いている、今の儲かっている経営者に見習ってほしいね。

子供たちにとって父親よりも母親に接する時間は圧倒的に多い、ましてや愛情の注ぎ方も父と母では全く異なる。
父の日の存在は薄れても母の日は益々盛大になって行くだろう。

老いて子に教えを乞う

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1月の21日22日に市の施設(メディアセブン)で習ったパソコンのエクセルの復習と確認を長女に習った。

習った当日は遅れ遅れながらも何とか理解したつもりだが日が過ぎてしまってやらないまんまだとすっかり忘れてしまう。
特に俺のパソコンに入ってるのは2003なので2010バージョンとはコマンドやタブが大分異なる、7年も違うと新しい方は便利な表示がはっきりしていて古い方は探したり無かったりとそこで止まってしまう、基礎が出来てないので大変だ。
長女は毎日の実務で完全にマスターしてるので古いパソコンのやり方を教えてくれた。

今を去ること30うん年前に長女の高校受験で俺が先生役で教えたことを思い出す。
教えるのは根気がいるし教わる方も気を使う、多分子供たちはお父さんに気を使ったのかもしれない。
長女と長男は素直に教わっていたが次女は途中でもういいよ何て言ってたような気がする。

今はどうか分からないが当時就職が厳しく、それで希望する会社に入れなかった時には先生(でもしか先生)でも何て思って教職課程を履修した(この発言は大変失礼にあたります許されよ)。
大学の付属中高で教育実習もしたしそこの校長先生にも誘われて少しは気持ちも傾いたが結局は会社員になった。
出身の高校の先生からも勧誘があったが自分の出た学校だけは勘弁して下さいとお断りしたのが昨日のようだ。

今日の長女は脳が固まってしまった爺ちゃんを相手に根気よく教えてくれた、実の子供じゃなくてはとっても教えてはくれないだろうな。
老いては子に従え・・・いろはかるたです・・・

東大宮駅

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宇都宮線東大宮駅

東京近辺のJRの駅名はやたら東西南北の駅名がある、俺が住んでいる土地名からして東川口だが駅の名前も武蔵野線の東川口駅、地下鉄埼玉高速鉄道の駅名も一緒だ。
お隣の駅は東浦和駅その隣は南浦和駅、逆方向の隣駅は南越谷駅だ。

今日はさいたま市見沼区東大宮に住んでいる次女宅訪問、次女の長女(孫・・小4)の誕生日で、ここには滅多に行かないが誕生日お祝いとクリスマス&お年玉を持って訪問。

この孫はケーキは食べないでプリンが良いとのこと、駅近くの不二屋入ったがプリンは売ってないとのこと。
困ってコンビニでもと歩いていたら生協があったのでそこで買う。
誕生日プレゼントとしてはちょっと寂しいので花屋さんでチューリプを5本買って花束を作ってもらう。

矢張り女の子らしく花は素直に喜んでもらえた、小4だが直ぐにスマホでチューリップを検索していた。
花言葉を探していたのだ、今どきの子供はやることが違う。
花言葉は「思いやり」だそうだ、12月の花でもあるらしい。

その下の孫(男の子)も加わり記念写真を撮る。
一緒にプリンを食べてから次女宅を出る、平日の昼間は小さい子や母親は忙しい。

たまたま偶然に次女の家の近くに大学時代の同級生がいるのでここに行く時は彼に連絡を入れて駅前で会うことにしている。
今日も呼び出して駅前の喫茶店「葡萄家」で4時に会う、当然「昼ビール」になる。

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一年に一回しか会わないのでその分話が弾む、だがもう東京近辺には大学時代親しかった仲間はもう一人も居なくなってこいつだけになってしまった。

5年前に同級生6人で熱海に一泊旅行したがその内3人が亡くなって、今日会った彼の他は京都の伏見に一人いるだけだ。
何故か短命な仲間ばかりでその他の連中も殆ど居なくなってしまった。

今日のK君とは縁があり俺の最初の転勤先(福井)に彼が就職していて(地元の大手企業)、俺が本社に帰って来た年に同じく東京支社に転勤になって来た。
その後俺は北九州に転勤で5年いたが彼の出身地が八幡なので話が良く通じる。
東大宮に住んでいるので会おうと思うといつでも会える、こんな友人は滅多にいないだろう。

帰り駅でお互い元気でと握手して別れる、昼ビールが効いていい気持で電車に乗る。

親の誕生日

流鉄流山線が100周年を迎えたとのことに出会って1916年は大正5年だったことが分かった。
大正5年といえば俺の母親の生まれ年だ、ということは生誕100年だよ。

慌てて戸籍の記録を見たら何と忘れていた誕生日が11月22日だったのだ、気が付いたのは流鉄に行ってから二日目の20日だった。
当然、親父のことは忘れていて(3年前の2月)生きていればもう103歳になっていたのだ。

お袋は57歳で亡くなった、この頃としてはかなり早い方で残念だった。
その年に次女が生まれたので没後何年かはすぐ分かる、年月の過ぎるのは年々早く感じるがもう40年以上経ってしまった。

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昨日慌ててホームセンターで仏壇にお供えの花を買った、「親孝行したい時には親は無し」とはよく言ったものだ。
遺伝は凄く、母親の亡くなった歳に俺は狭心症で第一回の入院をした。
母の死因も心臓病だったが医学の進歩の差で俺は生き残った。
親が早く亡くなった分長生きしなくてはと思ってはいるが、俺はその後6回も入院(内狭心症5回)している有様ではどうかなと思うがしぶとく生き抜いてやる。

戸籍簿を改めて見直したら短命の家系において父方の4代前の祖母さんが長生きしていた。
その祖母さんに負けないよう精進するつもりだが、果たして・・・・・・
プロフィール

カメ爺さん

Author:カメ爺さん
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 サラリーマン歴38年(北は仙台、西は福岡、転勤13回)いろいろあった会社生活だった。
(企業戦士というシーラカンス)
 定年後は8年間後輩の会社の手伝い、現役時代の暴飲暴食がたたり狭心症になる、カテーテル4回後ついにバイパス手術する、
退院後突如、毎日が日曜日になってしまった。
川口のマンションで妻と二人生活、
子供3人孫3人。
趣味は船釣り・ゴルフ・読書(池波正太郎・藤沢周平)喫茶店巡り・散歩

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