海釣り・・・18

「セイブ」

8年簡に渡った東北の釣りも東京勤務に変わり終わった。
東京近辺は岸壁・河口・磯などは釣り人が多いことと場荒れがしているので陸からの釣りは諦めて船に乗ることにした。
船での釣りの最大のネックは船酔いだ、通常は酔い止めの薬を飲まなくても平気だがそれでも海が荒れ始めると気持ち悪くなる。
船酔いが始まるとその日の釣りは全く面白く無くなって来るんでは無かったとなる。

そんな時に絶対に船酔いしない酔い止めの薬に出会った。
この薬のお陰でその後の釣り人生が変わったのだ。
「セイブ」という商品名で小林薬品工業から発売されている優れモノだ(ドリンク)。
銚子の手前に飯岡漁港という小さな漁港がある、そこの「隆正丸」にあった。

スポーツ新聞で探した飯岡港の隆正丸にしばらく通った。
家からかなり遠かったが釣り欄の釣果がいつも多いのにつられて朝早くから出かけたものだ。
対象魚はアジやハナダイで、この頃は胴づき(仕掛けの下にオモリがある)のエサ釣りだった。

飯岡は外房で外海のためいつも海は荒れている、酔い止めの薬が無いと結構厳しい。
「セイブ」のお陰で船酔いは全くしなくなり、友人達も船は駄目だよと言う連中もドンドン参加するようになった。
その話を(酔い止めの薬)聞きつけて同行者は益々増えてそれなら乗り合いではなく仕立て(チャーター)しようと言うことになった。

次回から船釣りバージョンになります。
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海釣り・・・17(女川湾の穴子)

2011年の東北大地震で宮城県の太平洋沿岸は壊滅状態になってしまったが遡ること20数年前の女川湾の釣りです。
女川湾から始まるリアス式海岸は非常に変化にとんだ漁場でもあった。
湾は海岸から一気に深くなっていてボートで10分も漕ぐと水深は50メートル以上になる。
そこを利用して生け簀で養殖が行われていた(銀鮭と呼ばれた鱒の養殖? いろんな魚が養殖されていたようだ)。

1月のある日(もう正確には覚えていない)、いつもの4人組で女川湾に釣行した。
今考えるとどうして女川湾に行ったのか不明だ(多分釣り情報誌かもしれない)。
目的は生け簀周りで何が釣れるか分からないが兎に角何かが釣れるのだろうと極寒の湾に行ったのだ。

記憶にあるのは早朝6時ごろか?仙台の家を出たのは4時前だった、女川の気温がマイナス12度だったのを覚えている。
どこかで気温を表示してたのだがそれもどこだか(七十七銀行か?)忘れてしまったが気温だけは覚えている。
知人を通じてボート(船外機付き)の手配をしてあったが、ボートが係留してある所が湾の奥の小さな港でそれも漁船を三隻越えた三艘目の外側にくっつけてあった。
大きな船から順次小型の船に移るのだが船の縁は凍っていた。
その頃は何とも思わなかったが非常に危険な行動だったと思う、縁を滑ったら一巻の終わりだった。

何とかボートに乗り移って湾内に漕ぎ出し真ん中辺りの生け簀にボートを係留した。
深さは50メートルはあった、取り敢えずエサのアオイソメを付けてチャレンジした。
海底は穴のような感じだった、生け簀には定期的にエサをやりに来るので生け簀の外側にエサを求めて魚が集まってくるようだ。

ボート上では本当の寒さを体験した、上下着れるだけ厚着をしていったのだが全然着ているような感じがしなかった。
ホカロンも付け携帯用のガスバーナーも持って行ったが全然効き目が無かった(なければもっと大変だったが)。

一行は震えながら日が差すのをひたすら待った、その内慣れたのか執念か釣り始めた。
釣れたのはアイナメだった、結構数釣れたので寒さを忘れたのかもしれない。

生け簀の見回りやエサをやりに漁師が来るので場所を移動してみたが生け簀から離れると全く釣れなくなってしまう。
夕方、暗くなって(信じられないが12時間以上ボートに乗っていたのだ)から元の生け簀に係留して再挑戦したところ穴子が釣れ出した。
同じところにアイナメも穴子も同居しているのだ、食性が違うので昼間はアイナメがエサを食うし暗くなってからは穴子が食うということだ。

この日の壮絶な釣りは10数時間に及んだ、釣り人は気がおかしくなければ出来ないと思ったよ。
誰も文句も言わずただひたすら狭いボートに居たのだそれも極寒だよ、20年以上経った今思うと本当にそんなことがあったのかと自分を疑うが、本当のことなのだ。

大震災で女川の町は壊滅状態になってしまい、特に港は全滅したようだし銀行や商店街は海岸に近かったので流されて何にも無くなってしまったようだ。
地震から6年経ったので復興はしただろうが湾内のおびただしい数の生け簀は戻ったのか、機会があれば景色だけでも見に行きたいと思うが遠いからなア・・・思い出だ(幻か・・・)。

親子三代でのハゼ釣り

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今日は長男と孫とで千葉の長浦にハゼ釣りに行った、午前は蔵波川河口でアタックです
 
先に釣り人がいたので「釣れますか」と釣りに行くと毎度お馴染みの挨拶を交わす「ここは全然つれませんよ」とのこと。
昨日大雨で川の水がかなり湾に入って厳しいなとは思ったが案の定だった。
餌を売っている店のおばさんも今年はまだ小さくて海には出てないよとのことで期待はかけてなかった。

以前から孫を連れて一度は利根川河口にハゼ釣りに行こうと言ってたが、長男が来月から長期出張になる予定なので当初計画していた11月を今月に変更した。
釣り宿に電話を入れたらまだハゼは小さいので船は出せないとのこと、残念だがやもうえず袖ケ浦・木更津に変更した。
木更津の金田海岸を想定して取り敢えず出かけたが、海に出るまでハゼが育ってないとのことで急きょ近くの川の河口に変更した。

釣れないと言われたのだが、まずは竿をだしてみた、何と続けて小さなセイゴを含めて5匹も釣れた。
先人はもうその時には釣り場所を変更していなくなっていた。
立て続けに釣ったので孫がびっくりしてお爺ちゃんすごいねなんて感心された(鼻ピクピク)。

息子や孫もチョコチョコ釣れ出した、こうゆう釣り環境が悪い時は船の下にまとまっている事があるので息子に俺は行けないけど係留してあるモーターボートの下を狙ってみたらどうだとアドバイス。
それが当たりで息子と孫はそこでかなり釣ることが出来た。
午前中のここでの釣果は3人で31匹、生育の悪い今年としてはまあまあだ(小さなセイゴは何匹かは放す)。

20匹を目標にしたので蔵波川河口を完了。昼から違う所の釣り場所に行ってみようと移動する。

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途中、袖ケ浦海浜公園に寄って公園内を散歩する(余裕です)。

当初予定した海岸の船溜まりはパスして木更津に移動する。

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小櫃川河口、最高の場所に来たと思った、川幅もあり景色も抜群、だったが
「ここで残ったエサを全部使い切ろう」なんて張り切って竿をあるだけ出して投げ入れてみたら・・・・・・
何と藻が川の底一面に繁茂していて全く釣りにならずに「ここは駄目だ」とがっくりして直ぐに移動。

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息子が地図を見て「自衛隊の横なんかどうかな」と小櫃川沿いを海の入り口まで細い道を入って行った。
江川漁港という小さな港があってそこに違う方向から小さな川が二本流れ込んでいた「ここは良いかも」と俺。
もう時間もないしここで残ったエサを使い切ろうと港の表の海側の河口まで行って見た。
何せ足りなくなったら困ると思ったので4パックも青イソメを買ったのでやる気十分で最後のトライをした。

小さな河口でどうせ釣れっこないと思って「釣れても釣れなくてもここで終わろう」と俺。
ところがである、孫が最初に釣ったではないか、俄然息子も俺も「勇気、やる気をもらった」と釣りだす。
たった1時間ぐらいで3人で27匹釣っちゃたではないか、段々暗くなってきて時間切れになってしまったが最後に孫が3匹いっぺんに釣ってめでたしめでたしで終わった。
小6の孫との最初の釣行は満足・満足の結果で終わった、仕事が忙しい中企画して連れて行ってくれた長男に感謝だ。


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海釣り・・・15

イシモチ

イシモチには大きく分けて2種類ある、銀色をしたシログチと暗黒食の斑紋があるニベという魚だ。
両魚ともスズキ属ニベ科に属するので魚の関係者か釣り人しか見分けがつかない。



単身赴任で8年もの間福島・宮城の海岸線を毎週のように釣りに出かけた。
一人で行くときは投げ釣りが主で竿を3~4本持って砂地の海岸に行く。
これが結構重労働で竿をはじめかなりの重さのなる、車は四輪駆動じゃないので海岸のかなり手前に置いて砂浜まで行く。

仕掛けや食料の入ったバッグと釣りケースを背負っての行軍だ。
帰りはこの他に釣った魚を持つのでかなり重量が増える。

主釣り場は東松島市(当時は市ではなかった)の鳴瀬川河口と北上運河との合流地点の海岸(砂浜)だ。
釣りのための空から写した写真があり海の深さによって色が変わって見える優れモノがあった。
海岸から沖に7~80メートルの所に海の色が変わっている(青が濃い)ところがある。
その辺りの海底は急に深くなっていてそこに魚が集まって(想像する)いるらしい。

魚は回遊魚は別として大抵は海底に近い所に生息している、そして外敵から身を守るための隠れる場所の近くにいて危険が迫るとそこに移動する。
急に深くなっている所は自然の漁礁みたいなもので仕掛けをそこまで(駆け上がりという)投げればヒットする確率が高い。

海だからとやみくもに仕掛けを投げてもそこには魚がいないかもしれないのだ。
海底の地形で生息している魚の種類が違う、宮城県石巻湾の砂地はシロギス、メゴチ、ベラ、イシモチ(ニベ)、カレイ、スズキ(フッコ)が釣れる。

スズキ狙いに夕方の日がある内に海岸に入る、投げ釣りは引き潮の時がやりやすい、潮が引き始めると仕掛けを沖に流してくれるのだ。
潮が上がって来る時もチャンスだが仕掛けが戻されて自分の仕掛けに絡むおそれがある。

大潮の上げ潮をの時は一気に潮が上がってくるので荷物は余程後方に置いておかないと波に持っていかれてしまう。
自然の力は凄いもので海に行くとそれが良く分かる。

夜釣りは(スズキは夜釣り)明るい内に万全の準備をしておかなくてはならない、日が落ちると一気に真っ暗になる。
北上運河を渡って砂防林の松林を抜けた場所(砂浜)なので人家は全く無く、灯りは持って行った懐中電灯とカンテラ(電池式)が頼りだ。
その為、持って行った荷物、仕掛け等すぐ分かるようにしておく、それを全部一人でやるのだ。
今考えるとよく一人で夜の海岸に行ったものだと思うが、釣りたい一心で行動したのかもしれない(釣りバカそのものだ)。
駐車した場所から30分も歩いて行くので一度海岸まで来ると後戻りは出来ない。

真っ暗な海岸で(多少月明りがあった)、釣り竿の先端には夜光のケミホタルを付けるそして仕掛けにも小さなものを付ける。
仕掛けを投げると夜光の仕掛けが宙を飛び波の中に消える、非常に幻想的だ。
竿の先端に鈴とケミホタルが付いてるので、釣れると鈴が鳴りケミホタルが揺れる、感動の瞬間だ。

釣ってる時は夢中で時の経つのも忘れる、お目当てのスズキはせいぜい50センチぐらいのフッコサイズだが競争者もいない一人の釣りは自己満足の極みだ。
釣れる魚はイシモチ(ニベ)が圧倒的に多く、釣りの世界では本命の魚以外を外道と呼ぶが外道のオンパレードだ。
だがニベは白身の美味しい魚でリリースしないで持って帰る。

行きに比べて帰りが大変だ、欲張って釣った魚を持って帰らなくてはならない。
真っ暗な闇の中を松林を抜けて、長靴で沢山の荷物を引きづりながら歩く姿は我ながら不気味としか言いようがない。
特に松林までの砂地が強烈に疲れる、「好きじゃなければとってもこんなことは出来ない」なんて自分を呪いながら歩く。

「もうこんな釣りは止めだ」なんて思ったものだが、その後釣れる誘惑には勝てず何回となく行ったものだ。
夜釣りのスズキ・ニベあの頃が懐かしいよ(よくあんな体力があったものだ)・・・・・・・

海釣り・・・その14

貞山堀

江戸時代に伊達政宗の発想から出来たと伝えられている日本一長い運河が宮城県にある。
俺が仙台にいた時には旧北上川から南の阿武隈川まで途中松島湾を経由して貞山堀と言ってたような気がするが、調べてみると三つの運河から構成されている。
貞山は正宗(貞山公)を言う、最初は松島湾(塩釜港)から阿武隈川までを江戸時代に作った、これが貞山運河だ。
明治になってから作られた旧北上川から鳴瀬川河口までの運河を北上運河、鳴瀬川から松島湾までを東名運河と言うらしい、全部江戸時代に作られたと思っていた(正宗は戦も強いが藩の統治の大したものだった)。

この運河は太平洋(仙台湾)に平行に作られていて、塩水も入る汽水域なのでハゼをはじめフッコ(スズキ)等の魚が生息していた。
転勤して釣りを始める時はハゼ釣りから入る、易しいし兎に角食べられる魚だからだ。
見た目はあまり恰好良くはない魚だが大きな奴は刺身でも食べられる、テンプラも最高に美味しい。
数が釣れるので暇つぶしにもってこいだ、沢山釣った時は佃煮にする。
俺の作り方は表面を軽く焼いて陰干しをする(干さないと形が崩れる)、それをザラメ(砂糖)と出汁でゆっくりと時間をかけて煮る。自分で作ったやつは好みに作るのでご機嫌だ、酒のつまみには最高。

土日、月3回は貞山堀に通った。その内同じ場所(運河)で海から潮が上がって入る時に定期的にフッコの大群が入って来るのを発見した。
見える魚は釣れないと言うがその通りで運河の表面を泳ぐ奴はエサを投げても無反応だった。
それでもタイミングが合うと40~50センチのセイゴからフッコぐらいのスズキが釣れるのだ、あの那珂川で散々苦労して舟を仕立ててまで釣りに行った魚が橋の上から簡単に釣れるのだ(無料です)。
それも誰も来ない場所を見つけて(こんな簡単に釣れて良いのかと思ったぐらいだ)。

やはり釣りは地方だ、この貞山堀は明治時代まで重要な貨物輸送の運河だったが今では殆どその用はなくなって釣りやレジャーに取って変わった。
この前の大震災で相当の被害があったらしいがもう一度行ってみたい所だ・・・・・・・
プロフィール

カメ爺さん

Author:カメ爺さん
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 サラリーマン歴38年(北は仙台、西は福岡、転勤13回)いろいろあった会社生活だった。
(企業戦士というシーラカンス)
 定年後は8年間後輩の会社の手伝い、現役時代の暴飲暴食がたたり狭心症になる、カテーテル4回後ついにバイパス手術する、
退院後突如、毎日が日曜日になってしまった。
川口のマンションで妻と二人生活、
子供3人孫3人。
趣味は船釣り・ゴルフ・読書(池波正太郎・藤沢周平)喫茶店巡り・散歩

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